2006年03月20日
徳川家康
1603年3月20日(慶長8年)、徳川家康が年頭の挨拶のため、豊臣秀頼のもとに出向く。
松平氏八代当主松平広忠の子。後の征夷大将軍、江戸幕府開祖。
松平氏八代当主松平広忠の子。後の征夷大将軍、江戸幕府開祖。
同年、征夷大将軍・右大臣に任じられ、江戸幕府を開く。家康側から、秀頼のもとに出向くのはこれが最後となる。
関連する武士の歴史365日
1562年2月18日(永禄5年)、三河の松平元康(徳川家康)が清洲城の織田信長と軍事同盟(清洲同盟)を結ぶ。
1616年3月9日(元和2年)、徳川家康が発病。
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1562年2月18日(永禄5年)、三河の松平元康(徳川家康)が清洲城の織田信長と軍事同盟(清洲同盟)を結ぶ。
1616年3月9日(元和2年)、徳川家康が発病。
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1. 竹谷(西郡)松平氏の屋敷跡(愛知県蒲郡市) [ 古今チップス ] 2006年06月26日 15:15
三河西郡領主(三河吉田藩分家)・竹谷松平氏の屋敷跡から江戸時代初期(17世紀初め)の瓦片が大量に発見された。
当時は有力な武家や寺院などしか瓦を使わなかったが、竹谷松平家は石高は五千石ながら「交代寄合」という名家であった。[東海日日新聞・中日新聞]
● 交...