2006年04月13日

徳川信康

1559年4月13日(永禄2年)、徳川信康、駿府にて誕生。

徳川家康の嫡男。母は正室の築山殿。家康の跡継ぎとして将来を嘱望されるも、内通の疑いで処断される。

母、築山殿は関口義広の娘で今川義元の姪。幼少期は、今川氏の人質として駿府で過ごす。


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1563年3月25日(永禄6年)、徳川信康が織田信長の娘、徳姫と婚約する。
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徳川信康

rekisi365 at 07:27 │Comments(4)TrackBack(0)室町時代  | たちつてと

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この記事へのコメント

1. Posted by 允の母    2006年04月13日 14:50
なるほど〜。
今日が徳川信康生まれた日か・・・・
山岡壮八読んだけど改めて家康はやっぱり実の子が好きだったのかな?

一人息子の育児で悩んでいる私には原点に帰ったような気がする。

2. Posted by 武士の歴史365日    2006年04月13日 22:55
>允の母様
コメントありがとうございます。
家康は信康の死をいたく悲しんだと言われてますね(逆説もございますが)。通説ですが、人質という生い立ちや、信康の死を経て、家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」と言われる忍耐力を付けたのかもしれません。
またいつの時代も子を思う親の気持ちは変らないのでしょうね。
3. Posted by 結城    2006年10月30日 21:20
上司の命令とは言え、自らの妻子に死を命じた(妻の築山殿に関しては、護送中に惨殺、信康についても信長は謹慎しか要求していない説あり)、家康は極めて怜悧で、計算高い人物だったと思う。

4. Posted by 武士の歴史365日    2006年11月28日 16:05
>結城様
コメントありがとうございます。
並々ならぬ家康の覚悟を感じます。このような事柄が、天下を獲るに足る人間的土壌を形成していったのでしょう。

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7.時代区分については、室町時代を足利義昭が京から追放された1573年迄、安土・桃山時代を1574年から1602年、江戸時代を徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた1603年からと仮定しております。
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