2006年04月13日
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この記事へのコメント
1. Posted by 允の母
2006年04月13日 14:50
なるほど〜。
今日が徳川信康生まれた日か・・・・
山岡壮八読んだけど改めて家康はやっぱり実の子が好きだったのかな?
一人息子の育児で悩んでいる私には原点に帰ったような気がする。
今日が徳川信康生まれた日か・・・・
山岡壮八読んだけど改めて家康はやっぱり実の子が好きだったのかな?
一人息子の育児で悩んでいる私には原点に帰ったような気がする。
2. Posted by
武士の歴史365日
2006年04月13日 22:55
>允の母様
コメントありがとうございます。
家康は信康の死をいたく悲しんだと言われてますね(逆説もございますが)。通説ですが、人質という生い立ちや、信康の死を経て、家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」と言われる忍耐力を付けたのかもしれません。
またいつの時代も子を思う親の気持ちは変らないのでしょうね。
コメントありがとうございます。
家康は信康の死をいたく悲しんだと言われてますね(逆説もございますが)。通説ですが、人質という生い立ちや、信康の死を経て、家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」と言われる忍耐力を付けたのかもしれません。
またいつの時代も子を思う親の気持ちは変らないのでしょうね。
3. Posted by 結城
2006年10月30日 21:20
上司の命令とは言え、自らの妻子に死を命じた(妻の築山殿に関しては、護送中に惨殺、信康についても信長は謹慎しか要求していない説あり)、家康は極めて怜悧で、計算高い人物だったと思う。
4. Posted by
武士の歴史365日
2006年11月28日 16:05
>結城様
コメントありがとうございます。
並々ならぬ家康の覚悟を感じます。このような事柄が、天下を獲るに足る人間的土壌を形成していったのでしょう。
コメントありがとうございます。
並々ならぬ家康の覚悟を感じます。このような事柄が、天下を獲るに足る人間的土壌を形成していったのでしょう。



