2006年05月19日
上杉朝定
1546年5月19日(天文15年)、上杉朝定が河越城の合戦で討ち死。(河越夜戦)
上杉朝興の嫡男。扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)最後の当主。
上杉朝興の嫡男。扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)最後の当主。
関東管領山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏らと関東諸大名の連合軍は七万の大軍で北条家、北条綱成が篭城する河越城を包囲するが、北条氏康の援軍八千の夜襲により総崩れとなる。「河越夜戦」日本三大夜戦に数えられる。
上杉朝定の討ち死により、扇谷上杉家は滅亡。大勝利を収めた北条家は関東での勢力を拡大する。
上杉朝定の討ち死により、扇谷上杉家は滅亡。大勝利を収めた北条家は関東での勢力を拡大する。
![]() 上杉朝定 |
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1. 合戦録『1』―河越夜戦―前哨戦 [ 戦人 ] 2006年05月27日 23:08
■河越城包囲
1546年(天文15年)9月。北条氏の重要拠点「河越城」を8万の大軍が包囲していた。対する城側は、「北条綱成」率いる3千の兵と「北条氏康」の救援軍の8千を合わせたわずか1万1千にしかすぎなかった。いくら北条随一の勇将と謳われた「北条綱成」と3代目当主の氏康...