2006年06月14日

柴田勝家

1583年6月14日(天正11年)、柴田勝家が妻、お市の方もろとも北ノ庄城で自刃。62歳(1522年、誕生)。

出自諸説有り。織田家譜代の家臣で北陸地方領する。武略に優れ、鬼柴田、かかれ柴田の異名を取る。本能寺の変後、秀吉と対立し、敗れる。
賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄城に逃れるも前田利家等を先方とする秀吉勢に包囲され、妻、お市の方(織田信長の妹)らとともに自害。

辞世の句、「夏の夜の 夢路儚き 後の名を 雲井にあげよ 山不如」。


関連する武士の歴史365日
1583年6月11日(天正11年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が柴田勝家方の軍勢を賎ケ岳で破る(賎ケ岳の戦い)。
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時代・性別 武士の歴史