2006年12月03日
本多忠勝
1610年12月3日(慶長15年10月18日)、本多忠勝、没。63歳(1548年、誕生)。
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
2006年12月02日
豊臣秀吉
2006年12月01日
小早川秀秋
1602年12月1日(慶長7年10月18日)、小早川秀秋、没。21歳(1582年、誕生)。
木下家定(豊臣秀吉の正室高台院の兄)の子。羽柴秀吉の養子を経て、小早川隆景の養子となる。関ヶ原の合戦で東軍に寝返り、東軍の勝利を決定的にさせた。続きを読む
木下家定(豊臣秀吉の正室高台院の兄)の子。羽柴秀吉の養子を経て、小早川隆景の養子となる。関ヶ原の合戦で東軍に寝返り、東軍の勝利を決定的にさせた。続きを読む
武田信玄
2006年11月30日
尼子経久
2006年11月29日
伊達輝宗
2006年11月28日
千利休
2006年06月19日
運営者より更新休止のお知らせ
当サイトを閲覧頂き、誠にありがとうございます。この度、運営者の一身上の都合にてサイト更新を一時休止させて頂きます。再更新の時期は未確定ですが、更新が可能となりましたら、武士の歴史を紐解く作業を再び始める所存です。
尚、コメント、トラックバックを本日より運営者承認制とさせて頂きました。何某のPRと思わしきコメント、トラックバックが増加しているためです。今後は内容を精査の上、アップさせて頂きます。
取り急ぎご報告まで。今後とも何卒、宜しくお願い申し上げます。
武士の歴史365日 運営者より
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武士の歴史365日 運営者より
2006年06月14日
板倉勝重
柴田勝家
1583年6月14日(天正11年)、柴田勝家が妻、お市の方もろとも北ノ庄城で自刃。62歳(1522年、誕生)。
出自諸説有り。織田家譜代の家臣で北陸地方領する。武略に優れ、鬼柴田、かかれ柴田の異名を取る。本能寺の変後、秀吉と対立し、敗れる。続きを読む
出自諸説有り。織田家譜代の家臣で北陸地方領する。武略に優れ、鬼柴田、かかれ柴田の異名を取る。本能寺の変後、秀吉と対立し、敗れる。続きを読む
2006年06月13日
大久保長安
1613年6月13日(慶長18年)、大久保長安(ながやす)、没。69歳(1545年、誕生)。
大蔵太夫の子(諸説有り)。武田信玄の猿楽師。後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された。続きを読む
大蔵太夫の子(諸説有り)。武田信玄の猿楽師。後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された。続きを読む
2006年06月12日
今川義元
1560年6月12日(永禄3年)、今川義元が桶狭間で織田信長の奇襲に遭い討ち死(桶狭間の戦い)。42歳(1519年、誕生)。
今川氏親の子。今川氏八代目当主。海道一の弓取りと称され東海地方一大勢力を築く。上洛行軍中、織田信長軍の奇襲により桶狭間で斃れる。続きを読む
今川氏親の子。今川氏八代目当主。海道一の弓取りと称され東海地方一大勢力を築く。上洛行軍中、織田信長軍の奇襲により桶狭間で斃れる。続きを読む
2006年06月11日
長宗我部盛親
1615年6月11日(慶長20年)、長宗我部盛親が六条河原で斬首される。41歳(1575年、誕生)。
長宗我部元親の四男。兄・信親の戦死で長宗我部家の後継者に。関ヶ原の役で西軍につき改易。大阪の役では豊臣方の主力を率いて奮戦。続きを読む
長宗我部元親の四男。兄・信親の戦死で長宗我部家の後継者に。関ヶ原の役で西軍につき改易。大阪の役では豊臣方の主力を率いて奮戦。続きを読む
豊臣秀吉
1583年6月11日(天正11年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が柴田勝家方の軍勢を賎ケ岳で破る(賎ケ岳の戦い)。
弥右衛門となかの子。百姓から立身出世し、天下統一を果たし関白・太政大臣になった戦国随一の出世頭。続きを読む
弥右衛門となかの子。百姓から立身出世し、天下統一を果たし関白・太政大臣になった戦国随一の出世頭。続きを読む
2006年06月10日
織田信雄
2006年06月09日
畠山政長
1493年6月9日(明応2年)、畠山政長が、細川勝元勢に攻められ自害する。52歳(1442年、誕生)。
畠山持豊の子。室町幕府三管領家。家督争いから管領を解任されると京都上御霊社で挙兵。応仁の乱のきっかけとなる。続きを読む
畠山持豊の子。室町幕府三管領家。家督争いから管領を解任されると京都上御霊社で挙兵。応仁の乱のきっかけとなる。続きを読む
2006年06月08日
織田秀信
1601年6月8日(慶長6年)、織田秀信、没。22歳(1580年、誕生)。
織田信忠の嫡男。岐阜城主。本能寺の変で祖父、信長・父、信忠が討たれると幼年にして織田家の家督を相続。関ヶ原で西軍に組し、戦後改易。続きを読む
織田信忠の嫡男。岐阜城主。本能寺の変で祖父、信長・父、信忠が討たれると幼年にして織田家の家督を相続。関ヶ原で西軍に組し、戦後改易。続きを読む
2006年06月07日
今川氏真
1569年6月7日(永禄12年)、今川氏真が北条氏直を養子とし領国駿河を譲る。
今川義元の嫡子。父、義元が桶狭間で戦死後、国人等の離反や他国からの侵攻を受け没落する。和歌などに通じた文化人であった。続きを読む
今川義元の嫡子。父、義元が桶狭間で戦死後、国人等の離反や他国からの侵攻を受け没落する。和歌などに通じた文化人であった。続きを読む
2006年06月06日
織田信忠
1578年6月6日(天正6年)、織田信忠を総大将とする尾張・美濃・伊勢勢が別所長治の播磨三木城に向け出陣。
織田信長の嫡男。岐阜城主。初陣以降、松永討伐軍、武田攻めなど緒戦に転戦。父、信長と供に本能寺の変で斃れる。続きを読む
織田信長の嫡男。岐阜城主。初陣以降、松永討伐軍、武田攻めなど緒戦に転戦。父、信長と供に本能寺の変で斃れる。続きを読む
2006年06月05日
本多忠勝
1560年6月5日(永禄3年)、本多忠勝、初陣。
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
2006年06月04日
豊臣秀頼
1615年6月4日(慶長20年)、豊臣秀頼と母、淀殿が自害し、豊臣氏が滅亡。23歳(1593年、誕生)。淀殿49歳(1567年、誕生)。
豊臣秀吉の子。母は淀殿。豊臣政権の後継者となるも、後見人前田利家の死、石田三成の失脚後、家康の台頭で一大名に没落。大阪の役で敗れ、豊臣家滅亡を迎える。続きを読む
豊臣秀吉の子。母は淀殿。豊臣政権の後継者となるも、後見人前田利家の死、石田三成の失脚後、家康の台頭で一大名に没落。大阪の役で敗れ、豊臣家滅亡を迎える。続きを読む
京極高次
1609年6月4日(慶長14年)、京極高次、没。47歳(1563年、誕生)。
京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で奮戦。若狭小浜八万五千石へ加増。続きを読む
京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で奮戦。若狭小浜八万五千石へ加増。続きを読む
氏家卜全
2006年06月03日
真田信繁
1615年6月3日(慶長20年)、真田信繁が大阪夏の陣で、徳川本陣に突撃し討死。49歳(1567年、誕生)。
真田昌幸の次男。通称、真田幸村。大阪の役での奮戦は「真田日本一の兵(つわもの)」と謳われる。真田十勇士や大阪脱出説など数々の逸話がある。続きを読む
真田昌幸の次男。通称、真田幸村。大阪の役での奮戦は「真田日本一の兵(つわもの)」と謳われる。真田十勇士や大阪脱出説など数々の逸話がある。続きを読む
豊臣秀吉
1570年6月3日(元亀1年)、豊臣秀吉が越前朝倉義景討伐戦で、朝倉・浅井軍の挟撃に対し、しんがりとしてこれを防ぐ。(金ヶ崎の退き口)
弥右衛門となかの子。百姓から立身出世し、天下統一を果たし関白・太政大臣になった戦国随一の出世頭。続きを読む
弥右衛門となかの子。百姓から立身出世し、天下統一を果たし関白・太政大臣になった戦国随一の出世頭。続きを読む
2006年06月02日
毛利輝元
1625年6月2日(寛永2年)、毛利輝元、没。73歳(1553年、誕生)。
毛利隆元の嫡子。長州藩初代藩主。豊臣政権五大老の一人。中国の覇者、毛利元就の後継者。叔父の吉川元春、小早川隆景の補佐を受け領土を守るが、関ヶ原で敗れ、120万石から周防・長門37万石に減封される。続きを読む
毛利隆元の嫡子。長州藩初代藩主。豊臣政権五大老の一人。中国の覇者、毛利元就の後継者。叔父の吉川元春、小早川隆景の補佐を受け領土を守るが、関ヶ原で敗れ、120万石から周防・長門37万石に減封される。続きを読む
木村重成
1615年6月2日(慶長20年)、木村重成が若江の戦いで討ち死。22歳。(1593年、誕生。)
木村重茲の子(諸説有り)。豊臣秀頼の小姓、幼馴染み。秀頼の信任厚く、大阪の役では主力部隊を率い奮戦し名を広める。続きを読む
木村重茲の子(諸説有り)。豊臣秀頼の小姓、幼馴染み。秀頼の信任厚く、大阪の役では主力部隊を率い奮戦し名を広める。続きを読む
後藤基次
1615年6月2日(慶長20年)、後藤基次が道明寺の戦いで討ち死。56歳(1560年、誕生)。
後藤基国の次男。通称、後藤又兵衛。緒戦で武勇を轟かせた勇将。主君、黒田長政との確執から出奔、浪人となる。大阪の役が勃発すると軍師として入城。道明寺に散る。続きを読む
後藤基国の次男。通称、後藤又兵衛。緒戦で武勇を轟かせた勇将。主君、黒田長政との確執から出奔、浪人となる。大阪の役が勃発すると軍師として入城。道明寺に散る。続きを読む
結城秀康
1607年6月2日(慶長12年)、結城秀康、没。34歳(1574年、誕生)。
徳川家康の次男。越前国福井藩初代藩主。一時、秀吉の養子となり羽柴秀康と名乗る。秀頼生誕後、結城氏を継ぐ。徳川家の後継資格を持つが庶子として扱われた。続きを読む
徳川家康の次男。越前国福井藩初代藩主。一時、秀吉の養子となり羽柴秀康と名乗る。秀頼生誕後、結城氏を継ぐ。徳川家の後継資格を持つが庶子として扱われた。続きを読む
徳川秀忠
2006年06月01日
徳川家康
1616年6月1日(元和2年)、徳川家康、没。75歳(1542年、誕生)。
松平広忠の子。江戸幕府、初代征夷大将軍。忍従の幼年期を過ごすも、東海一の弓取りと呼ばれる武略と三河家臣団を率いて、関ヶ原の合戦に勝利し天下統一。東照大権現。続きを読む
松平広忠の子。江戸幕府、初代征夷大将軍。忍従の幼年期を過ごすも、東海一の弓取りと呼ばれる武略と三河家臣団を率いて、関ヶ原の合戦に勝利し天下統一。東照大権現。続きを読む
2006年05月31日
松姫
1616年5月31日(元和2年)、松姫(信松院)、没。56歳(1561年、誕生)。
武田信玄の五女。織田信長の長男、信忠と婚約するも両家手切れとなり解消。武田氏滅亡後、出家し信松尼を名乗る。続きを読む
武田信玄の五女。織田信長の長男、信忠と婚約するも両家手切れとなり解消。武田氏滅亡後、出家し信松尼を名乗る。続きを読む
2006年05月30日
原田直政
2006年05月29日
浅井長政
1571年5月29日(元亀2年)、浅井長政が秀吉の守る横山城を攻撃する。
浅井久政の子。武略に長じ従属関係にあった六角氏を度々破る。朝倉氏と組み織田氏との同盟を破棄するも敗北し滅亡。正室に信長の娘、お市。子に後の淀殿、常高院、崇源院など。続きを読む
浅井久政の子。武略に長じ従属関係にあった六角氏を度々破る。朝倉氏と組み織田氏との同盟を破棄するも敗北し滅亡。正室に信長の娘、お市。子に後の淀殿、常高院、崇源院など。続きを読む
2006年05月28日
斎藤道三
1556年5月28日(弘治2年)、斎藤道三が、長男義龍と長良川河畔で戦い討ち死。63歳(1494年、誕生)。
飯尾彦六左衛門尉の子(諸説有り)。油売商人であったが謀略を用い、美濃の戦国大名となる。美濃の蝮。戦国三梟雄の一人。続きを読む
飯尾彦六左衛門尉の子(諸説有り)。油売商人であったが謀略を用い、美濃の戦国大名となる。美濃の蝮。戦国三梟雄の一人。続きを読む
2006年05月27日
足利尊氏
2006年05月26日
千姫
2006年05月25日
柳生宗厳
2006年05月24日
織田信長
1570年5月24日(永禄13年)、織田信長が、朝倉義景討伐軍三万を率いて京都を発つ。
織田信秀の嫡子。青年期はうつけと称されるも、桶狭間の戦いで名を轟かせると、新兵器を活用した兵法、斬新な政治手法で天下布武 事業を進める中、本能寺の変に斃れる。続きを読む
織田信秀の嫡子。青年期はうつけと称されるも、桶狭間の戦いで名を轟かせると、新兵器を活用した兵法、斬新な政治手法で天下布武 事業を進める中、本能寺の変に斃れる。続きを読む
2006年05月23日
足利義稙
1523年5月23日(大永3年)、足利義稙(よしたね)没。58歳(1466年、誕生)。
足利義視の子。室町幕府第十代将軍。義稙の代は将軍の権威が失墜し、諸国を流転の経歴から島公方、流れ公方と呼ばれる。続きを読む
足利義視の子。室町幕府第十代将軍。義稙の代は将軍の権威が失墜し、諸国を流転の経歴から島公方、流れ公方と呼ばれる。続きを読む
2006年05月22日
大内義隆
1547年5月22日(天文16年)、大内義隆が派遣する遣明使が奈留浦を出航する。
大内義興の長男。北九州などに勢力拡大を図る。晩年は文化的傾向が強く、海外貿易などで得た富も重なり、山口は西の京と呼ばれる繁栄期を迎える。続きを読む
大内義興の長男。北九州などに勢力拡大を図る。晩年は文化的傾向が強く、海外貿易などで得た富も重なり、山口は西の京と呼ばれる繁栄期を迎える。続きを読む
2006年05月21日
細川高国
2006年05月20日
足利義晴
2006年05月19日
浅野長政
上杉朝定
2006年05月18日
森長可
池田恒興
2006年05月17日
毛利元就
2006年05月16日
大内義長
1557年5月16日(弘治3年)、大内義長が毛利軍に攻められ自刃。18歳(1540年、誕生)。
大友義鑑の子。大内義隆の養子。義隆に実子が生まれたので、養子関係は解消されるが、謀反を起こした陶晴賢に担がれ大内家当主となる。続きを読む
大友義鑑の子。大内義隆の養子。義隆に実子が生まれたので、養子関係は解消されるが、謀反を起こした陶晴賢に担がれ大内家当主となる。続きを読む