2006年03月26日

武田勝頼

1582年3月26日(天正10年)、武田勝頼が、織田軍に攻められ居城の新府城を焼いて脱出する。

武田信玄の四男。戦国武田家最後の棟梁。
一門衆の小山田信茂の居城である岩殿城に向け脱出したが、辿り付く事無く、天目山で最期を迎える事になる。

関連する武士の歴史365日
1574年2月18日(天正2年)、武田勝頼が信州から美濃に侵入。美濃明智城を包囲。
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7.時代区分については、室町時代を足利義昭が京から追放された1573年迄、安土・桃山時代を1574年から1602年、江戸時代を徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた1603年からと仮定しております。
時代・性別 武士の歴史