2006年06月05日

本多忠勝

1560年6月5日(永禄3年)、本多忠勝、初陣。

本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。
尾州大高の役に十三歳で初陣以降、生涯五十七回の戦において刀傷を一つも受けなかったと言われる。


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本多忠勝

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時代・性別 武士の歴史