2006年11月29日

伊達輝宗

1585年11月29日(天正13年)、伊達輝宗が二本松義継に拉致され、正宗等との追撃戦の最中、討死。(諸説有)

伊達晴宗の次男。伊達氏第十六代当主。子に政宗、小次郎等。
嫡子、政宗不在時に対立していた二本松義継に拉致された輝宗は、追撃してきた政宗隊との混戦の中、討死。最期を悟った二本松義継に討たれたという説や、政宗の銃撃で討たれたなど諸説有る。

輝宗死後、彼の人柄を慕った遠藤基信ら多くの重臣が殉死した。

関連する武士の歴史365日
1555年4月10日(天文24年)、伊達総次郎が、将軍足利義輝から一字を与えられ、輝宗と改名する。
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時代・性別 武士の歴史