江戸初期
2006年12月03日
本多忠勝
1610年12月3日(慶長15年10月18日)、本多忠勝、没。63歳(1548年、誕生)。
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
本多忠高の子。徳川四天王・十六神将に数えられる徳川家譜代大名。通称、平八郎。狂歌に「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」、また信長に「花実兼備の勇士」と賞賛された勇将。天下三名槍・蜻蛉切を愛用。続きを読む
2006年06月13日
大久保長安
1613年6月13日(慶長18年)、大久保長安(ながやす)、没。69歳(1545年、誕生)。
大蔵太夫の子(諸説有り)。武田信玄の猿楽師。後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された。続きを読む
大蔵太夫の子(諸説有り)。武田信玄の猿楽師。後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された。続きを読む
2006年06月11日
長宗我部盛親
1615年6月11日(慶長20年)、長宗我部盛親が六条河原で斬首される。41歳(1575年、誕生)。
長宗我部元親の四男。兄・信親の戦死で長宗我部家の後継者に。関ヶ原の役で西軍につき改易。大阪の役では豊臣方の主力を率いて奮戦。続きを読む
長宗我部元親の四男。兄・信親の戦死で長宗我部家の後継者に。関ヶ原の役で西軍につき改易。大阪の役では豊臣方の主力を率いて奮戦。続きを読む
2006年06月08日
織田秀信
1601年6月8日(慶長6年)、織田秀信、没。22歳(1580年、誕生)。
織田信忠の嫡男。岐阜城主。本能寺の変で祖父、信長・父、信忠が討たれると幼年にして織田家の家督を相続。関ヶ原で西軍に組し、戦後改易。続きを読む
織田信忠の嫡男。岐阜城主。本能寺の変で祖父、信長・父、信忠が討たれると幼年にして織田家の家督を相続。関ヶ原で西軍に組し、戦後改易。続きを読む
2006年06月04日
豊臣秀頼
1615年6月4日(慶長20年)、豊臣秀頼と母、淀殿が自害し、豊臣氏が滅亡。23歳(1593年、誕生)。淀殿49歳(1567年、誕生)。
豊臣秀吉の子。母は淀殿。豊臣政権の後継者となるも、後見人前田利家の死、石田三成の失脚後、家康の台頭で一大名に没落。大阪の役で敗れ、豊臣家滅亡を迎える。続きを読む
豊臣秀吉の子。母は淀殿。豊臣政権の後継者となるも、後見人前田利家の死、石田三成の失脚後、家康の台頭で一大名に没落。大阪の役で敗れ、豊臣家滅亡を迎える。続きを読む
京極高次
1609年6月4日(慶長14年)、京極高次、没。47歳(1563年、誕生)。
京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で奮戦。若狭小浜八万五千石へ加増。続きを読む
京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で奮戦。若狭小浜八万五千石へ加増。続きを読む
2006年06月03日
真田信繁
1615年6月3日(慶長20年)、真田信繁が大阪夏の陣で、徳川本陣に突撃し討死。49歳(1567年、誕生)。
真田昌幸の次男。通称、真田幸村。大阪の役での奮戦は「真田日本一の兵(つわもの)」と謳われる。真田十勇士や大阪脱出説など数々の逸話がある。続きを読む
真田昌幸の次男。通称、真田幸村。大阪の役での奮戦は「真田日本一の兵(つわもの)」と謳われる。真田十勇士や大阪脱出説など数々の逸話がある。続きを読む
2006年06月02日
毛利輝元
1625年6月2日(寛永2年)、毛利輝元、没。73歳(1553年、誕生)。
毛利隆元の嫡子。長州藩初代藩主。豊臣政権五大老の一人。中国の覇者、毛利元就の後継者。叔父の吉川元春、小早川隆景の補佐を受け領土を守るが、関ヶ原で敗れ、120万石から周防・長門37万石に減封される。続きを読む
毛利隆元の嫡子。長州藩初代藩主。豊臣政権五大老の一人。中国の覇者、毛利元就の後継者。叔父の吉川元春、小早川隆景の補佐を受け領土を守るが、関ヶ原で敗れ、120万石から周防・長門37万石に減封される。続きを読む