かきくけこ

2006年12月01日

小早川秀秋

1602年12月1日(慶長7年10月18日)、小早川秀秋、没。21歳(1582年、誕生)。

木下家定(豊臣秀吉の正室高台院の兄)の子。羽柴秀吉の養子を経て、小早川隆景の養子となる。関ヶ原の合戦で東軍に寝返り、東軍の勝利を決定的にさせた。続きを読む

2006年06月04日

京極高次

1609年6月4日(慶長14年)、京極高次、没。47歳(1563年、誕生)。

京極高吉の長男。豊臣政権下で、義理の妹(淀殿)や妻(常高院)の「尻の光」に拠って出世したと言われ、陰で蛍大名と囁かれる。関ヶ原では西軍に付き、大津篭城戦で奮戦。若狭小浜八万五千石へ加増。続きを読む

2006年06月02日

木村重成

1615年6月2日(慶長20年)、木村重成が若江の戦いで討ち死。22歳。(1593年、誕生。)

木村重茲の子(諸説有り)。豊臣秀頼の小姓、幼馴染み。秀頼の信任厚く、大阪の役では主力部隊を率い奮戦し名を広める。続きを読む

後藤基次

1615年6月2日(慶長20年)、後藤基次が道明寺の戦いで討ち死。56歳(1560年、誕生)。

後藤基国の次男。通称、後藤又兵衛。緒戦で武勇を轟かせた勇将。主君、黒田長政との確執から出奔、浪人となる。大阪の役が勃発すると軍師として入城。道明寺に散る。続きを読む

2006年04月25日

快川紹喜

1582年4月25日(天正10年)、快川紹喜(かいせんじょうき)が織田軍の焼き討ちに遭い、焼死。

出自は美濃。臨済宗の僧。「心頭滅却すれば火も自ら涼し」は、快川紹喜の辞世の句。続きを読む

2006年04月19日

黒田官兵衛(如水)

1604年4月19日(慶長9年)、黒田如水、没。59歳(1546年、誕生)。

黒田職隆の子。官兵衛は通称。本名、孝高(よしたか)。出家後、如水。竹中半兵衛亡き後、秀吉の軍師として天下統一を支える。続きを読む

2006年04月17日

九戸政実

1591年4月17日(天正19年)、九戸政実(くのへまさざね)らが南部信直に反乱を起こす。頑強に抵抗する九戸勢に対し、信直は秀吉に援軍を要請する。

九戸信仲の子。南部氏の有力国人。器量に優れ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築くも、乱を起こし滅亡の道を辿る。続きを読む

2006年02月26日

五奉行

1599年2月26日(慶長4年)、豊臣氏五奉行が、秀吉の喪に服し剃髪する。

豊臣政権の実務を担う5人の官僚(奉行職)。続きを読む

2006年02月23日

木曽義昌

1582年2月23日(天正10年)、木曽義昌(よしまさ)が武田勝頼を背き、信長に寝返る。

木曽義康の子。木曽谷の領主、木曽氏第18代当主。続きを読む

2006年02月16日

狩野永徳

1543年2月16日(天文12年)、絵師の狩野永徳誕生。

狩野松栄の子。
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7.時代区分については、室町時代を足利義昭が京から追放された1573年迄、安土・桃山時代を1574年から1602年、江戸時代を徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた1603年からと仮定しております。
時代・性別 武士の歴史